燃え尽き症候群に陥らないためのたった一つの解決策

 私はよく燃え尽きる。
 何かをやり遂げ、達成感にひとしきり浸った後、極端にテンションが低い時期が続き、簡単なことさえ手につかなくなる。

 中学3年生の時、競泳で全国大会の決勝に残って燃え尽きた。
 東大に受かって燃え尽きた。
 競技ダンス部を卒部して燃え尽きた。
 クラウドファンディングで目標金額を達成して燃え尽きた。

 特に最後の2つは、ダブルパンチとなって大変だった。競技ダンスに区切りがついてすぐ、今ここで燃え尽きてはずっと準備してきた渡米計画がフイになる……と下り坂のテンションを強引に持ち上げ、力を振り絞って資金調達・現地取材活動に励んだ。その反動で帰国後しばらく、あらゆる気力を失っていた。正直、昨年6〜9月ごろに何をしていたのか、思い出せない。

 燃え尽きるのは、高い目標を定めて、それに向けて集中力を研ぎ澄ませてむちゃくちゃに時間をかけてまい進するからだ。
 そして、目標達成の瞬間の刹那的な感動・興奮を味わい尽くしてしまうからだ。
 この過程も、結果も、他にかえがたいぐらい、楽しい。異常に頑張れていて、それが成果に繋がりつつある自信と緊張感。形になった瞬間の、報われたという気持ち。

 今は、来月に出版される「進め!!東大ブラック企業探偵団」をベストセラーにするという目標を達成するために、つきっきりで指導してくださる編集者をはじめ、応援したり手伝ってくれる旧友たちといろいろな準備を進めていて、毎日をハイテンションで過ごしている。
 一度この状態になると、どれだけ多くの複雑なタスクを抱えていても、それを楽しんでいくらでもこなし続けられる。完全に躁だ。

 だからこそ、今の活動を終えたらまた鬱になるのではという不安を当初は抱えていた。
 しかしどうやら大丈夫そうだ。燃え尽き症候群に陥らないためのたった一つの解決策を見つけた。

 それは、壮大な、高すぎる目標を立てることだ。数年のうちには決して達成できないような。
 そして現在がんばっていることは、その通過点の1つと考える。クリアしたら感動するが、あくまでまだ過程に過ぎない。
 そう考えれば、決して燃え尽きない。
 何を目指していいかわからなくなるから、燃え上がった気持ちを、散らすしかなくなるのだ。
 
 ベストセラーを目指す。それ自体も無謀な挑戦ではあるが、肚の底では更なる大きな野望を秘めて、1日1日、突き進んでいきたい。

ハリウッドに挑戦する芦名佑介氏から学んだ、圧倒的になるためのエッセンス

 芦名佑介という、ハリウッドスターを目指している人がいる。

 私は、

・転職で年収17倍!「能力ではなく可能性を信じる」26歳アメフト元日本代表営業マンの仕事哲学 https://sales.typemag.jp/article/4474

 という、彼を取り上げたキャッチーなインタビュー記事でその存在を知った。

 記事にある通り、彼は慶応アメフト部の主将をして、U-19日本代表でもキャプテンを務め、新卒で電通のコピーライターになり、1年余りで転職してプルデンシャル生命保険という年収が0から数億円まで差がつく完全歩合制の会社でトップ営業マンになり、その後トップマネージャーをしていた26歳だ。
 要するに若くして異なる様々な分野でかなりすごい成果を残してきた人物である。
自分より一回りも二回りもすごい実績を持つ人だと思って、ぜひ会ってみたいと友人のつてをたどってみたところ、運よく繋がることができ、昨年末に初めてお会いした。

 すると彼は会社をもう辞めて、今はハリウッドを目指し、舞台の役を1つもぎ取って一時帰国中だという。
 その一見突拍子もない意思決定の裏には、「とにかくカッコよくなりたい」という、彼の中でずっと変わらない一貫性があった。
 しかもただの無鉄砲な若者なわけではなく、「起業しても孫正義ホリエモンに勝てるとは思えないし、勝ちたいとも思わないが、自分のオーラと雰囲気と表現力なら世界一になりうる」という勝算を持ち、自分のこれまでの経歴や価値観はどういう層にウケるかを考え抜いて、ファンを広げていくためのマーケティングを論理的に考えていた。
 そう、芦名氏は、インタビュー記事で私が受けた印象よりもはるかに頭の回転が速く、ロジカルだった。私がテンパってしどろもどろになりながらとりとめのない相談をしても、5秒ほど考えて「理由は2つあります」と答えてくれた。

 彼は非常にクレバーに合理性を突き詰めつつ、それでいて最も重要な意思決定の場面では論理よりもロマンを重んずる価値観を持っていたということだ。

 それを私は「カッコいい」と思ったし、目標にすべき人物が見つかったと感じた。まもなくハリウッドに戻るというから焦ったが、幸い彼が探している分野の人をたまたま私が紹介できたので、それにかこつけて彼が今日1月14日にハリウッドに戻るまでの僅かな期間に計6回も会うことになって学べるだけ学ばせてもらった。

 芦名氏は、並はずれて素直で、それゆえとてつもない学習能力を有している。私は初めて会った際、芦名氏の今後のハリウッドでのブランディングに関して、田舎娘から成り上がったテイラー・スウィフトを参考にしたらどうか、と軽く提案した。彼はその時テイラーについて何も知らなかった。だが、8日後に再会すると、同席した別の人に対して、「テイラー・スウィフトが出てるこのCMの、こういう部分ってグッとくるじゃないですか。僕もそういう感じにできたらと思うんです」と、私よりはるかに詳しく解説できるほどになっていた。

 彼と話していると、「なんで?」「それって何?」と妥協なく質問してくるので、私は自分の持っている知識がすぐに全部搾り取られてしまうんじゃないかという緊張感を味わう。それと同時に、自分の中で曖昧なままになっている知識が、急ピッチで体系化されていくのも体感できるのだ。簡単に言うと、彼と話していると、自分の意見の中で曖昧なものとはっきりしたものが分別されて、頭がよくなる。だから、自分の持っているいろいろな情報を彼に伝えたくなる。

 その素直さという武器は、芦名氏に「能力よりも可能性を信じる」という価値観をもたらしていた。今の能力で何ができる/できないとか向いてる/向いてないと考えるのは無意味だと彼は主張した。

 ハリウッドスターになるというと、じゃあ演技できるのか? 英語は話せるのか? という現実的な疑問がすぐ湧き上がるが、今能力がなくてできないのは当たり前だ。U-19日本代表のキャプテンを務めるにまでいたったアメフトだって、最初はぜんぜん能力がなかった。でも将来は絶対出来るようになるという可能性を信じていたし、そのために徹底的に素直にふるまったから、やり遂げられた。

 彼はそのスタンスをあらゆる場面で徹底的に貫いてきたから、勉強・アメフト・コピーライティング・営業・マネジメントと全然関係ないいろんな分野で成功してきたし、きっとこれからも、何をやっても相当すごいところまでうまくいくのだろう。


 ちょうど、芦名氏と出会う少し前から、私は素直さについて考え始めていた。

 大学2年生ぐらいまでの私は極端にひねくれていた。他人から学ぶことを恥だと思い、知らないことも知っている風を装い、メディアから得た知識に傾倒していた。
 だが、大学3年生になって瀧本ゼミという場で自分より知識量は少ないが論理的に鋭く話す人々に出会ったこと、競技ダンスで勝つ秘訣はうまい先輩に気に入られて教えてもらうことだと気づいてから、少しずつ変わりだした。今でも素直になりきれていないために損をしたり、注意を受けることは多いが、少なくとも「他者からいかに良質なフィードバックをたくさん得られるか」つまり応援や指導といった形で投資されるかが、成果を上げるのに最重要だという価値観を持つようになった。

 しかし、「能力よりも可能性を信じる」という域には、認識の段階にすら達していなかった。
 色々な分野でそこそこの成果を上げても、もっとすごい人を探してしまい、自信が持てない。「向いてない」「能力がない」という他人からの言葉に、むっとして傷つくけれど、うまく自分の中で処理しきれない。
 そういうことにずっと悩まされていた私は、「ああそうか自分の能力、実績じゃなくてこれからの可能性に自信を持てばいいのか」と、それを体現している人物に会って漸く腑に落ちた。

 私の価値観が変わるターニングポイントを作ってくれた芦名氏に、改めてこの場を借りて感謝したい。
 彼が次に日本に帰って来る時には、自分の可能性を開花させられた私の姿を見せたい、と思う。


芦名氏と有楽町の地下鉄にて撮影


くまりん/大熊将八(@Shoeyeahok)

より大いなるもののために成立するプライド

プライドが邪魔して素直になれないという人がいる。
一時恥をかくことを恐れて、格好悪いことができないという人がいる。
私もかつてそうだった。強烈な自意識を大事に愛している人間にとって、
他人からバカにされる恐怖は何よりも大きい。

しかし、それは、自分の持っているプライドが卑小であることの証左でもある。

もし本当に、プライドがとてつもなく大きければ。
素直になれないことで負ける、後退する、成果が上がらないことこを最も恐がるはずだ。

短期的にいくら情けない思いをして、恥をかいて、たとえ嗤われたとしても、それが、
長期的な大きな成果に繋がるのであればいくらでもお釣りがくる。
小さい恥は無効化されるどころか、一種の美談にまで変わりうる。

大きなプライドを持って生きていたい。

くまりん/大熊将八(@Shoeyeahok)

勝つことには意味があったか

 私は一昨年の12月7日に、部活の全国大会で優勝した。小さな大会でも一度も優勝したことがないのに、最後の最後の全国大会決勝でベストなパフォーマンスをして勝ち切った。これ以上表現のしようがないぐらいのハッピーエンドだ。求めていた感動が手に入った。

 だが、1つ、胸のあたりにつっかえたままの問いが未解答のまま残っていた。本来ならそれは、一昨年のうちに決着をつけておくべきはずのものだった。それができなかったから、昨年幾度も思い返してすっきりしない気分になることがあった。それは、

「勝つことに意味はあるのか?」

 という,私が大学生活をかけて追究してきた命題だ。

 すべては敗北から始まった。高校時代うちたてた「競泳で全国優勝して東大にも現役合格し、実績で唯一無二の存在になる」という目標があえなく潰えたのだ。震災の直後、高校を出て東京へ来た当初の私は、挫折感に打ちひしがれながら、それを悟られないように無数の言い訳で武装して暮らしていた。容易には周囲に悟られないように、しかし、少し親しくなった人には友情の証とでも言わんばかりにその身の上話を醜く垂れ流していた。

 他の誰にもできない目標を達成する、それこそが全てだとする自分の世界観が崩れた私は、新しい軸を求めて、無様にあちこちをさまよった。外面的には様々な部活やサークルに顔を出しては理由をつけて去った。正直、このころ働いた不義理の数々は思い出したくもないが、きちんと向き合わなければいけないことなのだろう。

 やがて確立されたのが、「絶対に勝てない環境で、勝てないことに意義を見出す」という、わけのわからない指針だった。その営みの中で、高校までの自分のすべての行動を相対化し、外から見える実績ではなく内面からあふれてくる自己の充足を探そうと思った。

 はたして、その過程は苦痛に満ち満ちていた。箸にも棒にもかからないような成績と、先輩から投げかけられる諦観、同期からの憐みの目線はこれまで味わったことがないものだった。こんなことに意味があるのか。もう辞めたい、と幾百度も考えた。

 自分の思想を語るのもはばかられるほど無残な実力しか持たなかった私は、ぶれにぶれた。

 しかし、最後の最後に、ドラマチックに優勝してしまった。報われてしまった。信じがたいような熱気に包まれ、でかい会場のみんなから祝福を受けて、私はおんおん泣くほど気持ちよかった。

 すると、それまでの苦しみや後悔は一気に、拭いがたい汚点から、勝利のための伏線として見事に転換を果たした。

 勝ちと負けについての、どろどろとした考察は吹っ飛んでしまった。勝つことが尊いに決まっている、これこそが求めていたことだ。そういう気分に浸され、今こうやって必死に昔の文章を読んで思い出さないことには、限界ぎりぎりまで心が苦しかったことすら忘れてしまっていたぐらいだ。

 勝利すること、すなわち結果を出すことの魔力は、かくも圧倒的なようである。

 今また私は、成果とそれについてくる感動のジャンキーとなって、次を追い求めている。

 なぜ勝ちたいのか?それは、気持ちがいいからだ。
 それ以上の答えを結局私は、4年かかっても見つけ出せなかった。

くまりん/大熊将八(@Shoeyeahok)